
1922 JD Board Track Racer
ボードトラックへと送り込まれた「壊し屋」
ファクトリーレーシングチームがそれまでに築いたシースでの優位性を守りつづけるために、1922年式のJDは国中のボードトラックへと送り込まれました。強力な61キュービックインチのエンジンは、JDを群雄割拠する1,000ccのクラスに参戦させられ、そして、さらに多くのトロフィーを獲得することができました。この時代の主なレースである、ボードトラックレースはとても危険な競技でした。なぜなら参加車両にはブレーキとサスペンションが無く、あったとしても言い訳程度の物だったからです。その頃の防護服は、長袖のシャツ、革のヘルメットと一組のゴーグルに限られていました。このような装備で木製のコースの上を100マイル以上で走り続けるレースの間に起こるどんなアクシデントでも、致命傷までいかずとも大怪我をしてしまう事は想像ができると思います。このハーレーダビッドソンの「壊し屋」はレーシングマシンとしての成功を収めましたが、この形式のレースは数人の見物人がレース中の事故で亡くなったり重傷を負ったため、すぐにレーサーと観客にとってあまりに危険であると考えられるようになりました。

レースで育てられたJDの61キュービックインチエンジンは、レース中やピットで暖機しているときに、その短く切りつめられたエキゾートパイプから炎を上げることがありました。
年式 |
1922年
|
|---|---|
モデル |
JD
|
エンジン |
ツインシリンダー 61 cubic inch
|
![]()